さて、今日は特に書くことがないぞと。
そんな出だしを何度となく書いていますが、どうもそれで良いような気がしてきました。
なんとなくの焦りというようなものが、今日はあんまりない感じがします。
数年単位で感じでいたんですけど、今日はそれほどでもない。
むしろ自分のペースがあるなら、それを守る方が大事なんじゃないかなという思考になってきました。
不思議なもので、そういう風に思ったときの方がかえって書けちゃったりするんですよね。
天邪鬼なのか、それともそういう精神状態のときの方がリラックスできているということなのか。
どちらなのかはわかりませんが、自然にいるということができそうな予感がします。
柔道でもなんでも道とつくものでは、自然体という状態が重視されますよね。
あらゆる場面で自然体からの反応を上げていく。
それこそが道というものの真髄なのかもしれません。
書こうと思って書くことってある意味誰でもできることなんですよね。
小学生だって、この日までに書きなさいと言われたら書くことができるわけですから、大人なら当たり前に書くことができるわけです。
書こうとせずに書く。
これがやっぱり難しいし、難しいけどそうあるべき姿なのではないかとも思います。
よし、これを書こう。
まずは資料を集めて、十分に考えて…と。
小論文を書いているわけではないですからね。
ブログを書くのにそこまで力を入れる必要もないわけです。
もちろん必要があれば調べますし、満足いかなかったら他の日に回すことだってあります。
それは自然なことですから。
そういう自然さは残しつつも、前もってこれについて書こうと思って準備するんじゃなくて、自分の中にあるものをしっかりと熟成させながらちょこちょこ出していく感じですかね。
枯れた技術の水平思考という考え方があります。
横井軍平さんという元任天堂のゲームクリエイターの方の考えです。
今の任天堂のゲームハードの根本はこの考えで作られていると言っても良いかもしれません。
どういった考え方かというと、字を読んだ印象そのままで。
枯れた技術…つまり使いこなされている技術を別の使い方をするということです。
そうすると新しい技術のように見えるということですかね。
世の中に今まで存在しないもので作っているわけではないのに、組み合わせ方を変えることであたかも新しいものを作ったかのように見えるように作られていますよね。
例えば3DSもそうですよね、裸眼3D液晶というのは任天堂独自の技術でも何でもないわけですけど、ゲームに使うと非常に相性が良いということで採用されています。
そしてポリゴン表示数をパワフルに表示するよりも、少なくても見栄えが良くできる機能をハード的に追加することで、持ち歩くのにちょうど良いサイズを実現しています。
まぁ3DSの場合はDSを踏襲しているので新しく見えないという欠点もありますが、触ってみるとまるで別物だということがわかると思います。
3D表示とゲームの相性が良いから採用したといっても、3DSを出したときに考え出したのかといえばそんなこともなく。
ヴァーチャルボーイなんていう懐かしいハードもありますし、ゲームキューブにも3D表示機能自体はついているそうです。
実は何度もチャレンジしながらも失敗している。
ちょっと出してみて、失敗だと思ったらすぐにひっこめる。
そうやっている内に、いつか熟成して本当に出せるときが来るんですよね。
だから熟成させるといっても、完全にしまいっぱなしにすると腐ってしまうとは思うんです。
でもたまに出してみて、どうかな?自分の中で出せるくらいになってるかな?という確認作業をする。
そうして万全を期した上でも、まだ人に受け入れられるとは限らないわけです。
ただ、熟成が済んだのであれば、あとは何度か出してみることでいつか受け入れられる可能性がありますから、それをしながらまた別のものを熟成させていく。
そうやって繰り返していくことで、何かとてつもない大きなものができあがっていくのではないかという予感がしています。
というわけで、熟成と出しては引っ込める。
この辺りのことを考えながら、のんびりとこのブログも続けていきたいと思います。
いつまでやれば良いんだろう?とか、いつになったら認められるんだろう?なんていう焦りを持つから不幸になるんです。
一生やり続けて、人に認められることがあったらラッキーじゃないか。
認められなくても続けていけば良いじゃないか。
そういう気持ちを持って、なが〜く続けていくことを大事にしていきたいと思っています。