自分はコンテンツを消費する側の人間だということ。
作る側の人間になりたいと思っていたけども、どうにもうまくできない。
どういうことなのだろうか?と、色々と考えたり、やってみたりもしてきて。
それでもまあ、なんとかなるかもしれないとか、やっぱりならないとか、そんなことを考えつつもどうにもならず。
いやいやどうにかなるのでは?努力が足りないのでは?などと自分を追い込んでみたり、あるいはすべてを投げ出したり。
そんなことをしているうちに、もはやまともに生きられる気がしないところまで来てしまった。
もうダメだろうな、うまくいかなかったな。
そんな風にも思う。
もう好きなものなんて何一つ思い浮かんでこない。
やりたいことも何も出てこない。
どうしたらいいのかわからない。
これは何も特別なことじゃなくて、ほとんどの人はそうなんだと思う。
いや、自分はむしろラッキーな方で、もっと苦しい人の方が多いだろう。
それでまあ、どうしようもないから、溜め込んでたジャンプを読み始めた。
いまだ2019年にいて、ようやく「食戟のソーマ」の最終回を読んだところ。
わりと好きだけど、もう終わっちゃってたりするんだろうか?なんていう新連載もあったりして、それはそれで楽しんでいる。
んで、読んでて気がついた。
もしかして「ジャンプ読むの好きなんじゃね?」ってことに。
「鬼滅の刃」を読んで涙を流したり、打ち切られそうなマンガの急展開に苦笑いしたり。
なんだろう、マンガを、ジャンプを読むのが好きだという感覚を久しぶりに思い出している。
読んでる自分って、結構嫌いじゃない。
コンテンツを消費している自分って、もしかしたら好きかもしれない。
どこかで漠然と、作る側が偉い。作る側にいなきゃいけない。
そんな風に思っていたのかもしれない。
でも消費する人がいなかったら、作る人だっていない。
どっちが偉いとかはない。
好きな方でいれば良いんだって。
もう人生はどうにもならなくたって、まだジャンプはある。
お金がなくて買えなくなったら、どっかで立ち読みすれば良いし。
ジャンプがなくなったら、また他のマンガ雑誌を探せばいい。
ジャンプがなくなるのと、自分が死ぬので考えたら自分が死ぬ方が確率高いだろうし。
そんな風に気楽に考えていたら、なんだかまだ少しできることがあるような気がしてきた。
オレはもう、ジャンプを読みながら、片手間に生きるよ。