というわけで、今日もなにがしかを書いていくわけである。ネタがないわけではないのだけれど、書こうという気になるネタは少なかったりする。そういうネタもちょっとした記事として書いていけば、更新数も増えるかもしれない。別に更新数を増やしたいというわけではないのだけど、一日一記事と限定してしまうのもまた違う気がする。書きたいだけ書けば良いし、書きたくなければ書かなければ良いのだけど、書かないというのはなんだか自分が許せなくなりそうなので一つぐらいは書きたい。
とにかく日々色んなことを感じているし、感じていなかったら死んでいるわけである。死んでいるというのは語弊があるか、生きていないのである。別に生きることにこだわりがあるわけではないので死んでしまっても良いのだけど、寿命で死ぬのであればあと1300年くらいは生きたいものである。1300年も生きていたらおそらくすることもなくなるだろうから、今はゆるりと生きていけば良いのではないかと思っている。そんなことをいって、1300年も生きないのだろうから、今できることは今やっておいた方が良いという意見にうなずくことはできるのだけど、やるかと言われればやらない。そういう人間なのである。きびきびと燃え尽きるように生きるくらいなら、1300年生きる可能性の方にかけよう。
生きていないというとやたらに批判される向きもあるが、本気で心配してくれる人もいるだろう。だから世間ではそんなことは言わない。ブログに書くだけである。なにしろ生きてないなんて言ったらいつ「もっと熱くなれよ」などと励まされるかわからない世の中である。言わない方がよろしい。
さらにいえば、ブログに書いてあることだって本心かどうかはわからない。本心からして生きていないのか、あるいはネット社会において受けが良さそうだと言っているのか、本当のところはわからない。わたし自身にもわからないところが少しおもしろいところである。
自分のことなんてわからない、他人のことなんてわからない。だからまあ人の目に触れたり、直接話したり、そんな時くらいは明るく振舞ったり相手を励ましたりもする。一人になった時に、いったいあの自分は何者なのだろうかと考えたりもする。だが結局、すべてが自分なのである。誰かといれば笑うし、一人の時だって笑いもする。色んな自分がいて良いのだ。まっすぐに前を向いて歩くことだけが正しいのであれば、わたしは正しくなくていい。できるだけ時間をかけて道草をくい、途中で野垂れ死にするだろう。正しいか間違ってるかなんてどうだっていい。後悔したって良い。わたしはただのんびりと、生きていないように生きたいのだ。
ラベル:毎日書かなくても日記
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