どらっくすのちゃんぷる〜日記。

どうせ誰も読んでない。

2018年05月30日

「ACIMで行こう!」を読む。おめでとう、ありがとう。

「ACIMで行こう!」を読む。


ACIM?いったいなんだろう?と思いつつも、なぜか読み始めてしまった。不思議なこともあるものである。
読み始めてすぐにACIMが「奇蹟のコース」のことなのだと書いてあった。なるほど、奇跡のコースは知っている。
以前にも関連の本を読んだことがあるし、その時はすごく勉強になった。
ということで、わくわくして読み進めていく。

ようは、ACIMを学んでいく主婦の体験談なのだけど、奇跡のコースとはいったいなんなのか?ということがわかったような気がする。
わかったような気がするどころか、何か少しだけ、自分自身が変わったような気すらしている。
つまりまあ、変わったからこそ、ブログを書こうという気分も出てきたのである。
完全にスランプに入ってしまったというか、何を書いたら良いのかわからない、そもそも書くことに何の意味があるのかわからない、という日々がここのところ続いていた。
ああ、ブログ……まあいいか。
そんな日々だったわけである。

それが「ACIMで行こう!」を読み終えて、また書くかという気持ちになった。
ACIM的に言えば、聖霊に書くことに対する不安を捧げ赦したら、また書く方に聖霊が導いてくれた。といったところだろうか。
まあなんでもいい。
そう、なんでもいいのである。
この「なんでもいいや」という感覚で生きていくためには、自分という存在が非常に邪魔である。
どうにか自分が消えてくれないかなと思っていたら、仏教の本に「そもそも自分なんてものはいない」と書かれていて、「え?マジかよ!やったぜ!!」なんてガッツポーズしたものである。

そういうわけで、立ち止まることなんてないのではないだろうか?と思っていたのだけれど、結局立ち止まってしまっていたのが最近。
良い時もあれば、悪い時もある。
時の流れの中で、一冊の本との出会いが流れを変えてくれることもある。
変わったのではないかもしれない、時の流れに乗るのをやめることを思い出したのだ。
なにしろ時は流れていないんだし。
時間は過去に向かって流れているわけではない、今にすべてがある。

余談だが、苫米地英人さんの天才的な発想によって、この感覚はすごく理解しやすくなった。
苫米地さんはまず、時間は過去から未来ではなく、未来から過去に流れているという話をした。
それが十分に浸透したところで、こそっと本当はどっちにも流れていないんだけどね。という本も出したのだ。
でも大体の本には今も未来から過去という話が書かれている。
人間、流れていると思っていたものが流れていないと言われると理解しがたいが、流れが逆と言われるとすんなりと理解できる。
そして逆に流れることもあると知れば、まあ流れてないってこともあるか、と納得もできるのである。
流れていないというか、渾然一体となっているのだろうというのが想像できる。余談終わり。

そういうわけで、なるほどつまりすべて赦していくことができるのだなということを学ぶことができた。
そうして嫌な気持ちになる度に許し続けていたら、ブログを書く気持ちが出てきたのである。
自分もいない、なら他人もいない。
ここには誰もいない。
だったら何をする?
それが書くだった。
これもまた聖霊の導きなのだろう。
ありがたや、ありがたや。

ありがたいのかどうかはわからないけども。
そうそう、読みながら頭の中にエヴァンゲリオンの最終回のイメージが出てきた。
例のおめでとうおめでとうのシーンである。
おめでとう、と言われたら、ついついありがとうと言いたくなってしまう。
すべての物事に先んじておめでとうと言ったら、ありがとうが返ってきてしまうかもしれない。
ここにおめでとう教が誕生したのである。
おめでとう、ありがとう。
posted by どらっくす at 10:13| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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