どらっくすのちゃんぷる〜日記。

どうせ誰も読んでない。

2018年07月18日

後から笑って、それで終わりで。

ここ数日、本を読もうとしている。
一日三冊くらいは読むと良いと苫米地英人さんの本に書いてあったので、それぐらいは読んでやろうと意気込んでいる。
つまりは読んでいないわけである。

一日に三冊。

この読めそうで読めないハードルを超えることができるのだろうか。
まあ読もうという姿勢が大事なのではないかと思う。
本を読めば読むほど、何かが軽くなっていく気がする。
何かとは何なのか?それはわからないのだけど、そんな気がするのだからして、読もうという姿勢だけは大事にしたい。

軽くなっているものが何なのかはよくわからないのだけど、その中のひとつには気持ちが軽くなっている。
本を読めば読むほど思うのだ。
この世の中がどんなに辛くても、死ぬほどのことじゃない。
もちろん死んだらそれ以降はないのだから、死んだ後のことを考えても仕方がない。
ここでいう死ぬほど、というのは自殺するほどじゃないということ。
死んだほうがマシでも、生きていても良いのだと思う。

そんなことを考えてしまうのは、神に関する本を読むことが増えてきているからかもしれない。
昨日はブルーバックスの「科学者はなぜ神を信じるのか」という本を読んだ。

読みやすいのだけど、数式が少し書いてあるだけで難しいような気になってしまう。
難しいところは、なんとなく読んだ気になっておけばよい。
わからないことは、どうせわからないのだから、気にしない。

科学者が神を信じているのかどうかはよくわからなかった。
そもそも科学は神の存在を肯定するためにあったものだったのだろうけど、時代が進むに連れて「やべえ、神様いないかも」となってきてしまった。
確定した何かがあるわけではなくて、すべては不確定であり、確率であり、雑に言えば全部偶然。
試行回数が宇宙規模であれば、たまたま今みたいになることだってある。
そもそも今というものがあるのかどうかすら不確定なのだからして、それはもう頭がこんがらがってしまうのである。
解き明かせば解き明かすほどに、神が何かを生み出したのではないように思えてくる。

神は存在していないのかもしれない。

では神は不在なのかというと、それもわからない。
少なくとも髭面のおじいさんが神である可能性は薄いだろうけど、かといって確実にいないとも言えない。
物語の中の登場人物が作者を認識することができないのと同じように、創造物は製作者を認識することはできない。
神はいるかもしれないけど、いても私にはわからない。

運命はあるのかもしれないけど、あったとしてもわからない。
未来も過去も、あるのかもしれないけど、わからない。
生と死も、あるのかもしれないけど、わからない。
大体のことは、よくわからない。

何かの拍子に幻を見る。
自分が死んだような幻だ。
本屋で立ち読みしていた自分が、ばったりと倒れる。
コンビニでパンを選んでいた自分が、ばったりと倒れる。
さっきまでいなかったはずの車に突然轢かれる。
エレベーターのドアが開いたら、中にいた青龍刀を持った人に襲われる。

ああ、死んだ。

全部、幻。もしくは嘘。
まだ生きている。
でも、そういう可能性もあったかもしれない。
あったかもしれないけど、なかったのかもしれない。
あるいはマルチバースな宇宙の可能性を、束の間幻として認識したのか。
あったかもしれない、起こったかもしれない。
やれたかも委員会。

起こっていないことを、起こる可能性があったかもしれないなんて言い続ける。
そんなものはほら、ギャグマンガみたいなもんなんだ。
だいたいのことは、死ぬほどじゃない。
後から笑って、それで終わり。
posted by どらっくす at 07:45| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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