どらっくすのちゃんぷる〜日記。

日記?の更新は基本的に毎日22時から24時の間くらいにしています。

2017年10月22日

「デアデビル」のシーズン2を見終わりました。誰もが持ちうる悩みを持つ等身大のヒーロー。

NETFLIXで「デアデビル」のシーズン2を見終わりました。
やっぱり最終回直前の方が、テンションの高まりは上ですね。見終わった後は、終わったという気持ちの方が強くなります。
そして、シーズン3がすでに気になっている。どうやら撮影は決定しているようなので一安心。

最後までパニッシャーはかっこよかったですね。今後どうしていくのかはドラマに続くのかもしれませんが、とにかく今から楽しみです。
デアデビルに関しては、楽しみではあるんですが、シーズン3にパニッシャーが出てくるのかどうかでもまた気持ちは変わってきそうです。それぐらいすごくパニッシャーを気に入っています。

最終回でまた出てきてしまった謎についてはともかくとして、きっちりと話としては終わったので満足感は高いです。
ヒーローに対して、どういったものを望んでいるかでも変わってくるかもしれませんが、デアデビルの悩みというのは、普通の人の日常生活の中でも起こりうるものです。
さすがに隠れてヒーローをやっている人はなかなかいないでしょうけど、何か秘密を持っているということは誰にでもあるものです。
たとえ立派なことであったとしても、誰にも言いたくないような秘密を持てば、そこに苦しみが生まれてしまいます。

そういった苦しみに対して向き合っていくのは難しいことですが、それでもやりたければやるしかない。
秘密を抱えたまま生きていくのか、誰かに打ち明けるのか、あるいは打ち明ける気はなくとも見つかってしまうのか。
重大な秘密を抱えてしまっているがために起こりうることが、様々に描かれていて、隠すのであればきちんと隠し続けなければならないなと、改めて心に誓いました。
誰もできないようなことを、誰もが抱える悩みを持ちながらやり続ける。
デアデビルはそんな等身大のヒーローでありました。
ラベル:デアデビル
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2017年10月21日

「デアデビル」のシーズン2を見ています。パニッシャーの強さに憧れる。

NETFLIXで「デアデビル」のシーズン2を見ています。
シーズン1よりも好きですね。
迷いまくっているデアデビルと迷いなく突き進んでいくパニッシャーの対比。圧倒的にパニッシャーがかっこよく見えてきます。
あまりにもかっこいいのでおかしい、と思いきや、11月17日からパニッシャー単独のドラマが配信開始されるみたいです。なるほど納得。

シーズン1も十分におもしろかったですが、パニッシャーがあまりに魅力的なのでシーズン2の方が今のところ好きですね。
あと数話で見終わりますが、見終わった後にどう思うか。自分自身でも気になるとともに、今この時点ですごくおもしろいと思っていることを書き残しておきたくなりました。
どんなドラマでもそうなんですが、最終回を見終わった後よりも、最終回の直前くらいの時の方が書きたいことが出てきます。
見終わる前の興奮の方が、見終わった後の興奮よりも強いことが多いからですかね。見終わる前には戻れませんから。

自分がなぜパニッシャーに魅力を感じているかというと、やはり覆面をしていないからでしょうね。
デアデビルは視覚障害者でもあるので、そのことを隠すためという理由もあるにせよ、基本的には正体自体を隠しておきたい。
パニッシャーは、ありのままにさらけ出しつつ、復讐の鬼となった突き進んでいく。
人は得てして迷いながら自分の道を見つけていくものですが、だからこそ一つの目的に向かってわき目もふらずに突き進んでいくものに惹かれるのかもしれません。

デアデビルは身体能力はともかくとして、等身大のヒーローで、そこに共感もできるわけですが。
やはりパニッシャーのように圧倒的に強いものの方に惹かれてしまいます。
たぶんそれは自分自身に弱さがあるという自覚があるからなんでしょうね。
デアデビルに対して、もっとこうしろよ!と思ってしまうのは、普段自分自身の弱さに対しても同じようなことを言っているからで。
パニッシャーに憧れてしまうのは、そんな自分を罰して欲しいからなのかもしれません。

でも、もし強くなりたいのであれば、自分を誰かに罰してもらうことを期待するのではなく。
自分自身をただ鍛えていく覚悟を持つことの方が大事なのでしょう。
罪の意識を背負っていても強くはなれない。
強くなる決意を固めたもののみが、自身を強くすることができるのです。
ラベル:デアデビル
posted by どらっくす at 23:44| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

『マインドハンター』を見終わりました。異常な思考が存在することを受け入れなければ、乗り越えることはできない。

『マインドハンター』を見終わりました。
最後は予想通りというか、そうなるしかないだろうなという展開でした。
全体を通して、人間とは何か?を考えるきっかけとなるおもしろい作品でした。

快楽殺人者であっても人間です。
非人間的であっても、人間であることを否定できない。
殺人に快楽を覚えることは異常であっても、人間ではないということにはならない。
人間は様々な背景によっては、殺人であっても快楽を感じるようになる。

神の視点で考えれば、あらゆるものに快楽を感じるように人間を作った。ということになります。
つまり仕様通りになった結果、殺人に快楽を感じるようになっているだけ。
でなければ、快楽そのものをなくしてしまったことでしょう。
1か0かで考えるのであれば、殺人に快楽を感じる人間がいても良いということになります。
そうでないならば、快楽そのものを否定しなければおかしくなってしまう。

しかし現実的には、殺人に快楽を感じるのは否定されますが、ある程度のものに快楽を感じるのは許されます。
つまり人間の社会というのは、物事を程度の問題にすることによって成り立っているのです。
その程度が、文化や宗教などによって違うから揉め事が起こる。
揉め事の果てに人が殺されたりもする。
はたして、快楽のための殺人と揉め事の果ての殺人、どちらの方が程度としてマシなのでしょうかね。

人を殺すこと自体が許されることではありませんが、生物として考えれば快楽としての殺人は許されるような気がしてしまいます。
快楽とはどこから出てくるのかわからない、自然とわきでてきてしまうものだからです。
快楽殺人であればOK、揉め事による殺人はNO。という社会の方が自然かもしれない。神の作りたかった社会かもしれない。
そうだとしても殺人はいけない、という人間の理性による社会に生まれたことに、本当に感謝しかないですね。

快楽殺人者たちを、自分とは違う人間として見てしまうよりも、自分の中にもそういう存在がいるかもしれない。
でも、理性によって乗り越えられるのだ。
むしろ、そのことを受け入れられないことの方が危ないのかもしれない。
そう信じたくなるドラマでした。
posted by どらっくす at 10:32| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

「マインドハンター」“歪み”を理解した人間はまともでいられるのか?

Netflixで「マインドハンター」というドラマを見ています。
デヴィッド・フィンチャー監督の最新作だそうですが、あんまり見たことないですね。「セブン」は見ましたけど、どうにも気分の良い話ではなかったので、積極的に追おうとは思わなかったのでしょう。
この「マインドハンター」は、心理学捜査を生み出していく過程を描いているドラマです。まだ方法が確立されていない70年代後半辺りが舞台ですね。
もっとバリバリに科学捜査をやっていくタイプのドラマかと思っていたのですが、まったく違いました。手探りで事件にあたりつつ、凶悪犯へのインタビューを通じて捜査方法を確立していく。
結果のたのしさというよりも、過程のたのしさですね。謎解き自体よりも、推理の過程をたのしむタイプのドラマです。謎とかはないですけどね。

主役のビルとホールデンのコンビの仲が良さそうで踏み込みすぎず、お互いをわかりきれていないけども信頼しているのが垣間見えるところが好きです。
上司と部下でありながらも、異常な犯罪者に対して接していく初めての人間としてのとまどいや期待がそれぞれ違って、そこがまた二人の関係性に変化を生じさせていくので、次から次へと見ていってしまいます。
異常犯罪ものというよりは、FBI二人の心理ドラマという側面の方が強いです。
ただ、出てくる犯罪者たちも見事にクソ野郎でありつつも、どこか魅力があるというか、FBI二人とともにインタビューを聞いていると、こっちまで飲み込まれてしまうような気分にさせられてしまいます。

監督は、

「我々が到底理解できないものと戦うためには、“歪み”も実は人間の一部なのだと理解することで対抗するしかない・・・そんな犯罪プロファイリングの概念に魅力を感じたんだ」

D・フィンチャー監督が犯罪心理描く、Netflix『マインドハンター』予告編

と言っていたそうですが、理解できないものと戦うための“歪み”を理解することで対抗する。では歪みを理解した人間はまともでいられるのか?というドキドキ感がドラマの中にはあって、そこも人間のおもしろさとして続きを見たくさせる要因の一つになっていますね。

見たくはないような気もするのだけど、先が気になるから見てしまう。
うっかり見始めてしまうと、最後まで見てしまいたくなりますね。
あと数話残っているんですが、もしかしたら今日明日にでも見終えてしまうかもしれません。

この本が原作的な本なのかな?見つけたら読んでみよう。
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2017年10月18日

書くことはやめない。

最近、またメモを取ることが増えてきました。
思いついたことをとりあえずメモしておく。
なんだか大事なことのような気がしています。
本を読みながらもメモしたりしているのですが、なかなか難しいものですね。読みたい部分の時はメモを取る余裕がないし、メモでも取りながらと冷静に思えるようなところはメモを取るところがないという。

書いてあることをそのまま書き写すこともありますが、読んでいて思ったことを書くことの方が多いですね。
本当なら、本に直接書き込んだ方が良いんでしょうが、どうにも抵抗があるんですよね。
そのうち他にわざわざ書くことがめんどくさくなって、直接書くこともあるかもしれませんが、今はまだその時期ではないですね。

いま読んでいる本は『「偶然」の統計学』という本です。

今のところは、まだ読み進めていくことがなかなかできていないです。
読んでいると眠くなっちゃうんですよね。眠くなりそうな時間に読んでいるというのもありますが、なかなか思うように読み進められないんですよね。
目次に戻って、おもしろそうと思うところから読みだした方が良いのかもしれません。
行きつ戻りつしつつ読んでも良いのかな。

メモを書くということで、またブログを書こうという気持ちも出てきたので、何かを書くという行為そのものはやめないようにしたいですね。
やめないようにしたいというか、やめることはないでしょう。
どこまで外に出すかはともかくとして、自分自身として書くことはやめない。
そう思っています。
posted by どらっくす at 13:21| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月10日

久々に紙の本を買うと、なんだかそれだけでうれしい。

久しぶりに本を買いました。

まだ読んではないですが、少しだけ立ち読みはしました。

英語に関する本というのは、読んでもどうしようもないような気もするのですが、この本はカタカナ英語ということで挑戦してみる気になりました。
さらっと読んだ感じだと、大変そうではありました。
ただ、大変である方が学習効果は高いと書かれていたところが気に入りました。

流れで言語に関しての本も読みたくなったのでもう一冊も購入。
読んでみたら何かわかるでしょう。

自分の中で本を買ったということに対しての満足感が大きいことに気がつきました。
最近は電子書籍ばかりだったのですが、やはり紙の本を買うのとは別ですね。
紙の本というのは、単純に贅沢です。
電子書籍でよく買うからこそ、紙の本を買うことの贅沢さに気がつくことができました。
文章を読むことと紙の本を買うことは、また違った体験なのですね。
本を買う、それだけで、ただうれしい。
posted by どらっくす at 23:13| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

人間はむずかしい。

最近、足しげく本屋に通ってはいるんですが、どうにも腰を据えて本を読む気になれないですね。
色んな本を手に取ってみては、パラパラとめくっておく。
そんなことを繰り返しております。
どうも自分の集中力は60ページぐらいでいったん途切れてしまうらしくて、それぐらいめくってみるとどんな本でも買う気にならなくなってしまう。
そこまで読んでる時点で、買わないからちょっと読んでおこうという気分なんですよね。買う気になる本って、3ページぐらいで買いたくなっちゃう。
むしろ、買わないから一段落するまで読もう。という気分が出てくるものです。

そんな探し方でも大量に読んでいると、ちょっとだけ気になるものも出てきて。
「ナミヤ雑貨店の奇蹟」という東野圭吾さんのベストセラーは、最初の数ページの印象とは裏腹に、一段落するまで読んだら『おもしろそう!』という気分になりました。

ただ、買うかというと微妙なところなんですよね。
なんでかというと、涙を流してしまいそうだから。
いわゆる感動的な作品というのはできたら読みたくないんです。
あれ?これもしかして感動的な作品なんじゃない?と感じた時点で、なんだかすぐにでも映画館から出たい気分になってしまう。映画館にいるわけじゃなくても、とにかくここから出ていきたくなってしまう。
感動恐怖症みたいな症状があるんでしょうかね。
素晴らしい景色を見に行くよりも、いつもの日常の中から美しいものを探したい。
そういう気持ちがあるのかもしれません。
だったら本なんか読むなという話なのですが、そういうわけにもなぜだかいかないものなのです。
人間はむずかしい。
posted by どらっくす at 07:56| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

地図じゃない、本を読みたい。

最近読んだ本とかあったかなと思ったら、特に何もなくて驚く。
読みかけの本も特にない気がしています。
役に立つかな?という本なら読んでいるんですけどね。



でもこういう本っていうのは、なんだろう……。
自分の興味に寄りすぎている気がするんです。
英語をやっぱり学びたいな、という気持ちがあるからこそ読んでしまう。でも結局、学びなおしたりはしてないのだけど。
役に立てようとして読む本のことを、はたして読書と呼んで良いものかなという気がするのです。
もっと読書というのは無軌道であった方が良いんじゃないかな。
道を歩いているとして、道草をくうのが読書であって。地図を見るのは読書ではないのではないか。
そう思うと、読みたい本を読むことすら、読書とは言えないのかもしれません。
自分の範囲から外に出るからこそ読書になるのであって、もっと無計画に無軌道に読んでいかないといけない。
そんな気がしています。
posted by どらっくす at 10:24| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

マーベルという底なし沼にはまりそう。

ようやく「ルークケイジ」を見終わりました。
うーん、ハッピーエンドという感じではなかったですが、なかなか満足できる内容でした。
ただ、続きそうな感じ満点だったのではやくシーズン2を見たいですね。まだ配信予定はないみたいですが、製作は決定しているのでたのしみです。

早速次のマーベルドラマに!と行きたいところではあるんですが、さすがにちょっと疲れてしまったので別のやつを見ようかと思っています。
一つ一つのシーズンが長いですよね。単純計算でも13時間近くあるわけですから。
そう考えると映画というのは短くて良いですね。
長くても3時間超える映画はなかなかないわけですし。
次は何か映画にしようかな。

「ルークケイジ」に話を戻しますと、決して暗い話ではなかったです。
アメリカでの黒人に対しての感情がどういうものなのかをあまり理解できていないので、感情移入しづらい部分はありましたね。
ただそういう中で、ルークケイジの着ていた銃弾の穴があいたパーカーが黒人感情の象徴のようになる演出にはオオッと思いました。
というか、単純に銃弾の穴があいたパーカーってちょっとかっこいいですよね。真似したくなりましたが、日本でやるとただボロボロのパーカーを着ている人になってしまいますね。

ストーリー的には、他のマーベル作品をきちんと見ておいた方がたのしめそうだなというのは感じました。
最後にちょっとだけアイアンフィストとの繋がりも見せてくれたりして、よくできたドラマシリーズだなと思います。

ただ、やっぱりついていきはじめるのが遅かったな。
更新と同時くらいのタイミングで見始めてたらもうちょっと楽だったんでしょうけどね。
デアデビルの1話を少し見ただけで合わなさそうと見るのをやめてしまったのがよくなかったな。
繋がりはありますし、見ておいた方がたのしめるでしょうけど、基本的にはどれから見ても大丈夫だと思います。
見ていると会話の中で出てきたちょっとしたエピソードとかでニヤリとできる程度だと思います。
そういうところにはまれれば、何週もできそうな気もしますね。
おそろしい、沼みたいなドラマシリーズですよ、マーベルは。
posted by どらっくす at 10:06| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

ようやく「ルーク・ケイジ」も終わりの方まできた。

NETFLIXで「ルーク・ケイジ」を見ているんですが、なかなか見終わりません。
やっとあと3話ぐらいのところまできました。
英語音声で見る時もありますが、もっぱら日本語吹替えになってきています。
やっぱりパッと聞いてわからないのはめんどくさい。画面を見ていればなんとなくわかっても、音声だけだとさっぱりわからなかったりしますからね。
日本語吹替えなら多少目を離していても大丈夫ですし、作業しながらでもつけておけます。

「ルーク・ケイジ」を見ていて、どうもこの話の前に何かあったっぽいということも察していきました。
たぶん「ジェシカジョーンズ」を先に見なきゃいけなかったんだな。「デアデビル」は見たんですけど「ジェシカジョーンズ」は女性主人公ということもあって飛ばしてしまいました。
まあ順番的に言えば後の方の「アイアンフィスト」から見ているのでいまさら気にする必要はないでしょうけどね。
次は「ジェシカジョーンズ」を見るか。
自分としては「ディフェンダーズ」を見たいがために見始めたところもあるので早く「ディフェンダーズ」を見たいところなんですが、まあゆっくりと追っていけばいいか。

「スタートレック」の新シリーズも始まったし、NETFLIXだけでも見るものに困りませんね。
まあ、他にもいろいろと使ってますけど、NETFLIXが一番多いかな。
回線の安定感があるのでついついそうなってしまいます。Amazonも回線は良いですけど、あんまり使わないのはNETFLIXよりもちょっと使いづらいからですね。
Amazonでは「有田と週刊プロレスと」だけは毎週見ています。あとは何か気になるのがあれば、という感じかな。Amazonだと映画は良い映画多いので、映画を見る時はAmazon使うかな。
U-NEXTはアニメとか見てますけど、回線の安定感がちょっと劣るので毎月継続を悩みますね。自分の近辺でU=NEXT使ってる人が多いとかあるのかなあ。大丈夫な時は問題ないんですけどね。

続き物というわけではないけど、同じ世界観のドラマというのもおもしろいものですね。
それぞれがそれなりにおもしろいし、おもしろいからいろいろと見たくなる。するとまたつながりを感じることができる。
長いループにハマってしまったかもしれません。
posted by どらっくす at 09:49| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月20日

貰わない人生から貰う人生へ。

人から物を貰うのが苦手で、あげると言われてもついつい断ってしまっていました。
心のどこかには物を貰うという行為が卑しいものであるという価値観が潜んでいたのかもしれません。
ですが先日気がつきました。
貰った方が相手の気分を良くできるのではないかということに。
断れば相手を不快にさせることはない、と考えていたのですが、どうにもそうでもないようです。
むしろ大事なのは、うまく貰うこと。
うまく貰うことができれば、貰わないよりもずっと相手のことを喜ばすことができる。
これまでは貰わない人生を歩んできたのですが、これからは貰う人生を歩むつもりです。
貰うことができるようになった時、自分自身も与えることのできる人間になり、今までとは違った人生になっていく。
そんな気がしているのです。
posted by どらっくす at 06:36| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

自重トレーニングをやっている。


「プリズナートレーニング」なる本を立ち読み。
自重トレーニングこそが動ける体を作ることのできるトレーニングであるという主張の本。
影響されて今日はスクワットやレッグレイズなんかをやっている。
なんとなくそれだけでも体の動きがスムーズになったような気がする。
おそらく体に詰まった老廃物とかが運動したことで排出されているのだろう。
もっと深く読み込めば、自分の体を変えるのにより役立つかもしれない。
気が向いたら買いたい本である。

プロレスが好きなので、自重トレーニングにはもともと興味があったのですが、ここまで自重トレーニングに特化した本を手に取ったことはなかったのでどんどん興味がわいてきています。
このタイミングで「ゴッチ式トレーニング」という本が発売しているようだったので本屋を回ってみたのですが発見できず。
今よくよく調べてみたら7月発売予定から2017年内予定に延期になっていました。
「ゴッチ式トレーニング」は関節技の鬼、藤原喜明さんが書かれているようなので発売がたのしみ。
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2017年09月15日

山田孝之かっこいい。芦田愛菜かわいい。



「山田孝之のカンヌ映画祭」を見る。
役者と呼ばれる人たちは、素の姿……もちろんカメラで撮ってるわけだから完全に普段と同じではないのだろうけど、普段の姿が良い。
山田くんはかっこいいし、芦田愛菜ちゃんはかわいい。
もしかしたら役者というのは、演じている時が一番かっこ悪い状態をさらしているものなのかもしれない。
演技の中に、どれだけ素のかっこいい部分を入れられるかで、良い役者になるのかもしれません。素がかっこわるい人は役者に向かないんだろうな。

フェイクドキュメンタリーではあるのだろうけど、完全にフェイクであると視聴者に感じさせないようにしているところがおもしろい。そして、フェイクであるだろうと想像させるシーンもおもしろい。
どこまで決められていたのかはわからないし、山田孝之さん自身が撮ろうとした映画のように台本はなくその場のノリで撮られていたのかもしれない。立ち合いだけ決めておいてあとは流れに任せる。

こういうフェイクドキュメンタリーっぽいものはすごく好きで、松本人志監督の「大日本人」なんかも序盤の流れは好き。
ただ松本人志さんが映画を作りながらも最終的には映画であることを放棄するようなエンディングにしたのに対して、山田孝之さんはフェイクから実際の映画へと繋げてしまったところが凄い。
このドラマを見た人は間違いなく「映画 山田孝之」がどんな作品であるかをチェックしたくなる。
自分も映画館等に見に行くかはともかくどんな映画になっているのかはそのうち見ようと思う。
フェイクドキュメンタリーと書いたが、公式にはドキュメンタリードラマというらしい。
ドキュメンタリーでありドラマ。
なるほど、この作品にふさわしいジャンルである。
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2017年09月13日

依存からは逃れられない。

人間は裏切ることもあるが、ダンベルが裏切ることはない。
10キロのダンベルが軽く感じるようになったのならば、変わったのはダンベルではなく、自分の肉体である。

自分以外のものに依存するときはなるべく変化のないものにした方が良いそうだ。
ダンベルは裏切らない。そして自分を変えてくれる。
誰かを変えるよりも、自分が変わらなくちゃ。

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2017年09月06日

ランダム性によって、自分は広がっていく。

いろいろな動画を二つ同時に見たりしている。
単純に時間短縮になるのではないかという気持ちもあるのだけど、その方がランダム性が高まるのではないかと思っている。
どっちに集中していいのかわからない状況をあえて作ることで、意識が一つのことに集中しないようにする。
一つのことに集中することが自分を深めるために必要なことだとすれば、ランダム性は自分を広げるために必要なことなのではないかと考えている。

いつもと同じ景色を同じように見ていたら変化に気がつくことはできない。
たまたま小銭を落とした時に、足元にある花に気がつくことがあるように。いつもとは少し違ったことをした時に、あるいは偶然何かが起こった時に。
いつもの自分の延長線上にはない何かを見つけることができるものである。

そうやっていろいろ見ている中で最近衝撃を受けたのは映画「シャイニング」である。
ホラー映画ということで少し敬遠していたのだけど、スタンリー・キューブリックの作品はあまり見たことがないし、一つの挑戦だ、と視聴。
まずは非常に美しい映像に目を奪われた。すべてが計算されて配置されているのではないだろうか、映画には意味のないものは映らないと言われるが、「シャイニング」では置いてあるものすべてに意味があるのではないか?思わされるほどにすべてが美しく配置されている。

「ROOM237」という「シャイニング」に込められた暗号を解説する!という映画が作られているほどに、何らかの隠喩があるのでは?と感じる映像である。
余談だが「ROOM237」は、それはそれでおもしろいのだけど、あまりにも陰謀論的すぎているし、キューブリック本人に何か聞いたわけではないというのが残念。
でも人間のこじつけ能力というか、ちょっと頭がいっちゃっている人は何からでもメッセージを受け取ることができるんだということが確認できるという意味でおもしろい映画である。

「シャイニング」に話を戻すと、映像美は何らかの示唆に富みながらも、その実なんの意味もないのでは?とも思える。
想像の余地を残すことで視聴者に恐怖心を与えることが目的であって深い意味はない。枯れた井戸も、恐怖心を持って覗けば深淵となる。
見終えたあとに、漠然とした恐怖。何かとんでもないものを見たような気もするし、たいしたことがなかったような気もする。もやもやとした恐怖が残る。
実態がつかみきれないものの方が、人はそこに“なにか”を見てしまうのかもしれない。

posted by どらっくす at 08:19| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

楽をしようとすれば損をする。

あまりにもいろいろと考えすぎていたのかもしれない。
書きたければ書けば良いし、書きたくなければ書かなければ良い。
誰かに認めてもらう必要はなく、自分自身で認められるものを。
平穏のままに書いていけば良い。

先日、「刺青 SHI-SEI」というい映画を見た。
谷崎潤一郎に興味がわいたのだけれど、どうも本を読む気にはなれなくて。
それならば、映画ならば見る気になれるかもしれない。と考えたからだ。
文豪・谷崎潤一郎の名作を映画化!と書かれていたので、原作をそのまま映画化したものなのだろうと勝手に思っていたが、始まった瞬間から舞台が現代。
しばらく見進めていっても、一向に谷崎潤一郎の時代に戻る気配はない。モノローグで谷崎潤一郎の文章らしきものが読まれているシーンがあったので、おそらくそこをさして原作となっているのだろう。

もちろん映画全体としても、谷崎潤一郎の「刺青」を元にしてあるのだろうけど、どちらかというと『刺青を入れるシーンを描きたい……、そうだ谷崎潤一郎の刺青を原作にしよう!』というノリを感じた。
映画もわかるようなわからないような思わせぶりなシーンが多く、見終わった後にも特にすっきりとする場面はない。
唯一見どころといえば、吉井怜が刺青を入れられているシーンがやたらにセクシーというところである。
そこも別に裸が見えているわけではないので、人によっては不満を感じるだろう。
一言で言ってしまえば、つまらない映画であった。

だが、問題はこの映画がつまらなかったことではない。
見ることにしたのは自分だし、もし自分が吉井怜ファンであれば、話はともかくああいうシーンがあったのだから満足。という評価にもなっただろう。
問題は、谷崎潤一郎の「刺青」を読むのがめんどくさいから映像で済ませようとした自分自身である。
おそらくこの映画を見ている時間で、自分に谷崎潤一郎が合うかどうか、あるいはどんな文章を書くのかなんとなく把握することぐらいはできたはずである。
それをただ、なんとなくめんどくさそうという理由で楽をしようとした。
そこに問題があるのである。
自分自身の行動を反省し、次からは楽をしようとせず、素直に原作に当たるようにする。

posted by どらっくす at 12:54| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

ドキュメンタルおもしろい。

ドキュメンタルシーズン3もいよいよ佳境。
おもしろさで言えば、シーズン3がぶっちぎりでおもしろい。ゾンビルールもおもしろさという側面の強化には役立っている。
反面、ドキュメンタルらしさのようなものは少し薄れた気がする。
具体的には、シーズン2ラストの追い込まれた二人のなんとかして笑わそうともがく姿。あの姿こそ、松本人志が見たかったものなのかと思う。
とりあえず見たいものは見ることができたから、シーズン3ではおもしろさを強化したのではないかと想像している。
人を笑わせるプロである芸人が、追い込まれすぎて最終的に行きついたど下ネタは、おもしろいかどうかはともかくとして笑いというものの本質に迫っていたような気がする。つまりは、いかに相手よりも頭をおかしくするか。
それはもはや芸ではなく、ただ相手を笑わそうという本能を全開にした結果行きついた場所なのだろう。
考えてみると、話や芸で笑わせるというのは、非常に高度な技術を要するものであるのだ。そういったものを脱ぎ捨てざるを得なくなったとき、芸人といえども剥き出しの本能がいかに相手より狂っているかを見せつけようとするしかないのだろう。
シーズン3ではどんなラストに向かっていくのか楽しみである。
posted by どらっくす at 01:25| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

変化から逃げることも大切。

変化が起こることを望まなければ何も変わらないかもしれない。
時が経つにつれ、変化しないようにしたとしても、どこか変わってきてしまう。
少しずつ変わっていくことには慣れることができても、大きな変化が突然起こることに慣れることはない。
突然すべてが変わってしまったら、自分はどうするのだろう。
何も変わらないで欲しいけど、変わらないわけにはいかない。
人間には時を止める力はないのだから。

自分にとって嫌な変化であったとしても、誰かにとっては良い変化であるかもしれない。
受け入れることができれば、みんながハッピーになれる。
そうわかっていたとしても、受け入れることができないことだってある。
どうしたら良いのかわからない時は、そこから離れてみることだって必要だ。
問題を解きたかったら、問題の中にいてはいけない。問題を外から見なければ、何が問題なのかわからない。

どうしたって混乱するときはくる。
混乱した頭で必死に考えようとするよりも、まずは一度離れて、落ち着くことから始めた方がかえって早く済むこともある。
逃げてはいけないというけれど、一度逃げてみなくては自分がどこにいたのかにも気づかない。
自分の胸にナイフが刺さっていたとしても、戦場にいるうちは気がつけないものなのだ。

ビッグバンセオリーのシーズン7を見終わった。
明日は何を見よう。
posted by どらっくす at 00:16| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

手で書く。

ノートに少しずつ何かしら書くようになりました。
続けていくうちに、何か良いアイディアが出るかもしれません。
手書きで書いていると漢字をだいぶ忘れていることに気がつきました。
読めるけど書けないんですよね。
普段は変換に頼っているから、いざ書こうと思うと出てこない。
不可解という字を書こうと思ったんですが、どうしても出てこなかったのでひらがなで書いてしまいました。
あと叩くという字も間違っていますね、存在しない字を書いている。
漢字の練習帳からやり直した方が良いかもしれない。
でも手書きで書いてみると、だいぶキーボードで打つのとは感覚が違いますね。
手で書くのも悪くないものです。しばらく続けてみよう。
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2017年08月14日

うぇい。

ここ最近は映画やら海外ドラマをたくさん見ている。言語には特にこだわらずに吹替え版を見ることにしている。
一時期は、英語音声のみで見ていたのだけど、それだと理解度は低くなる。わからないということはないけど。
別にすべてのドラマを英語で見る必要はない、と感じ出してきたのが吹替えメインに変えた理由。
自分の中にあった英語を理解したいという気持ちは、結局のところ「このおもしろさは原語だとどう表現されているのだろう」という興味から発生していたのだということに気がついた。
おもしろいから英語でも理解したいのであって、英語で理解することが目的ではなかった。
だから最初から英語で見てしまうのは少し違うような気がしてきたのだ。

まあ一番大きいのは英語で見ると疲れるという部分かもしれないけど、まあとにかく何事も気楽にできるならその方が良いのかもしれない。
気の向くようにやれば良いし、過剰に自分を大きく見せようとする必要もない。
やりたくないのにやる必要なんてないのだから。どんなことであっても。
posted by どらっくす at 12:01| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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