どらっくすのちゃんぷる〜日記。

日記?の更新は基本的に毎日22時から24時の間くらいにしています。

2017年09月20日

貰わない人生から貰う人生へ。

人から物を貰うのが苦手で、あげると言われてもついつい断ってしまっていました。
心のどこかには物を貰うという行為が卑しいものであるという価値観が潜んでいたのかもしれません。
ですが先日気がつきました。
貰った方が相手の気分を良くできるのではないかということに。
断れば相手を不快にさせることはない、と考えていたのですが、どうにもそうでもないようです。
むしろ大事なのは、うまく貰うこと。
うまく貰うことができれば、貰わないよりもずっと相手のことを喜ばすことができる。
これまでは貰わない人生を歩んできたのですが、これからは貰う人生を歩むつもりです。
貰うことができるようになった時、自分自身も与えることのできる人間になり、今までとは違った人生になっていく。
そんな気がしているのです。
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2017年09月19日

自重トレーニングをやっている。


「プリズナートレーニング」なる本を立ち読み。
自重トレーニングこそが動ける体を作ることのできるトレーニングであるという主張の本。
影響されて今日はスクワットやレッグレイズなんかをやっている。
なんとなくそれだけでも体の動きがスムーズになったような気がする。
おそらく体に詰まった老廃物とかが運動したことで排出されているのだろう。
もっと深く読み込めば、自分の体を変えるのにより役立つかもしれない。
気が向いたら買いたい本である。

プロレスが好きなので、自重トレーニングにはもともと興味があったのですが、ここまで自重トレーニングに特化した本を手に取ったことはなかったのでどんどん興味がわいてきています。
このタイミングで「ゴッチ式トレーニング」という本が発売しているようだったので本屋を回ってみたのですが発見できず。
今よくよく調べてみたら7月発売予定から2017年内予定に延期になっていました。
「ゴッチ式トレーニング」は関節技の鬼、藤原喜明さんが書かれているようなので発売がたのしみ。
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2017年09月15日

山田孝之かっこいい。芦田愛菜かわいい。



「山田孝之のカンヌ映画祭」を見る。
役者と呼ばれる人たちは、素の姿……もちろんカメラで撮ってるわけだから完全に普段と同じではないのだろうけど、普段の姿が良い。
山田くんはかっこいいし、芦田愛菜ちゃんはかわいい。
もしかしたら役者というのは、演じている時が一番かっこ悪い状態をさらしているものなのかもしれない。
演技の中に、どれだけ素のかっこいい部分を入れられるかで、良い役者になるのかもしれません。素がかっこわるい人は役者に向かないんだろうな。

フェイクドキュメンタリーではあるのだろうけど、完全にフェイクであると視聴者に感じさせないようにしているところがおもしろい。そして、フェイクであるだろうと想像させるシーンもおもしろい。
どこまで決められていたのかはわからないし、山田孝之さん自身が撮ろうとした映画のように台本はなくその場のノリで撮られていたのかもしれない。立ち合いだけ決めておいてあとは流れに任せる。

こういうフェイクドキュメンタリーっぽいものはすごく好きで、松本人志監督の「大日本人」なんかも序盤の流れは好き。
ただ松本人志さんが映画を作りながらも最終的には映画であることを放棄するようなエンディングにしたのに対して、山田孝之さんはフェイクから実際の映画へと繋げてしまったところが凄い。
このドラマを見た人は間違いなく「映画 山田孝之」がどんな作品であるかをチェックしたくなる。
自分も映画館等に見に行くかはともかくどんな映画になっているのかはそのうち見ようと思う。
フェイクドキュメンタリーと書いたが、公式にはドキュメンタリードラマというらしい。
ドキュメンタリーでありドラマ。
なるほど、この作品にふさわしいジャンルである。
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2017年09月13日

依存からは逃れられない。

人間は裏切ることもあるが、ダンベルが裏切ることはない。
10キロのダンベルが軽く感じるようになったのならば、変わったのはダンベルではなく、自分の肉体である。

自分以外のものに依存するときはなるべく変化のないものにした方が良いそうだ。
ダンベルは裏切らない。そして自分を変えてくれる。
誰かを変えるよりも、自分が変わらなくちゃ。

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2017年09月06日

ランダム性によって、自分は広がっていく。

いろいろな動画を二つ同時に見たりしている。
単純に時間短縮になるのではないかという気持ちもあるのだけど、その方がランダム性が高まるのではないかと思っている。
どっちに集中していいのかわからない状況をあえて作ることで、意識が一つのことに集中しないようにする。
一つのことに集中することが自分を深めるために必要なことだとすれば、ランダム性は自分を広げるために必要なことなのではないかと考えている。

いつもと同じ景色を同じように見ていたら変化に気がつくことはできない。
たまたま小銭を落とした時に、足元にある花に気がつくことがあるように。いつもとは少し違ったことをした時に、あるいは偶然何かが起こった時に。
いつもの自分の延長線上にはない何かを見つけることができるものである。

そうやっていろいろ見ている中で最近衝撃を受けたのは映画「シャイニング」である。
ホラー映画ということで少し敬遠していたのだけど、スタンリー・キューブリックの作品はあまり見たことがないし、一つの挑戦だ、と視聴。
まずは非常に美しい映像に目を奪われた。すべてが計算されて配置されているのではないだろうか、映画には意味のないものは映らないと言われるが、「シャイニング」では置いてあるものすべてに意味があるのではないか?思わされるほどにすべてが美しく配置されている。

「ROOM237」という「シャイニング」に込められた暗号を解説する!という映画が作られているほどに、何らかの隠喩があるのでは?と感じる映像である。
余談だが「ROOM237」は、それはそれでおもしろいのだけど、あまりにも陰謀論的すぎているし、キューブリック本人に何か聞いたわけではないというのが残念。
でも人間のこじつけ能力というか、ちょっと頭がいっちゃっている人は何からでもメッセージを受け取ることができるんだということが確認できるという意味でおもしろい映画である。

「シャイニング」に話を戻すと、映像美は何らかの示唆に富みながらも、その実なんの意味もないのでは?とも思える。
想像の余地を残すことで視聴者に恐怖心を与えることが目的であって深い意味はない。枯れた井戸も、恐怖心を持って覗けば深淵となる。
見終えたあとに、漠然とした恐怖。何かとんでもないものを見たような気もするし、たいしたことがなかったような気もする。もやもやとした恐怖が残る。
実態がつかみきれないものの方が、人はそこに“なにか”を見てしまうのかもしれない。

posted by どらっくす at 08:19| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

楽をしようとすれば損をする。

あまりにもいろいろと考えすぎていたのかもしれない。
書きたければ書けば良いし、書きたくなければ書かなければ良い。
誰かに認めてもらう必要はなく、自分自身で認められるものを。
平穏のままに書いていけば良い。

先日、「刺青 SHI-SEI」というい映画を見た。
谷崎潤一郎に興味がわいたのだけれど、どうも本を読む気にはなれなくて。
それならば、映画ならば見る気になれるかもしれない。と考えたからだ。
文豪・谷崎潤一郎の名作を映画化!と書かれていたので、原作をそのまま映画化したものなのだろうと勝手に思っていたが、始まった瞬間から舞台が現代。
しばらく見進めていっても、一向に谷崎潤一郎の時代に戻る気配はない。モノローグで谷崎潤一郎の文章らしきものが読まれているシーンがあったので、おそらくそこをさして原作となっているのだろう。

もちろん映画全体としても、谷崎潤一郎の「刺青」を元にしてあるのだろうけど、どちらかというと『刺青を入れるシーンを描きたい……、そうだ谷崎潤一郎の刺青を原作にしよう!』というノリを感じた。
映画もわかるようなわからないような思わせぶりなシーンが多く、見終わった後にも特にすっきりとする場面はない。
唯一見どころといえば、吉井怜が刺青を入れられているシーンがやたらにセクシーというところである。
そこも別に裸が見えているわけではないので、人によっては不満を感じるだろう。
一言で言ってしまえば、つまらない映画であった。

だが、問題はこの映画がつまらなかったことではない。
見ることにしたのは自分だし、もし自分が吉井怜ファンであれば、話はともかくああいうシーンがあったのだから満足。という評価にもなっただろう。
問題は、谷崎潤一郎の「刺青」を読むのがめんどくさいから映像で済ませようとした自分自身である。
おそらくこの映画を見ている時間で、自分に谷崎潤一郎が合うかどうか、あるいはどんな文章を書くのかなんとなく把握することぐらいはできたはずである。
それをただ、なんとなくめんどくさそうという理由で楽をしようとした。
そこに問題があるのである。
自分自身の行動を反省し、次からは楽をしようとせず、素直に原作に当たるようにする。

posted by どらっくす at 12:54| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

ドキュメンタルおもしろい。

ドキュメンタルシーズン3もいよいよ佳境。
おもしろさで言えば、シーズン3がぶっちぎりでおもしろい。ゾンビルールもおもしろさという側面の強化には役立っている。
反面、ドキュメンタルらしさのようなものは少し薄れた気がする。
具体的には、シーズン2ラストの追い込まれた二人のなんとかして笑わそうともがく姿。あの姿こそ、松本人志が見たかったものなのかと思う。
とりあえず見たいものは見ることができたから、シーズン3ではおもしろさを強化したのではないかと想像している。
人を笑わせるプロである芸人が、追い込まれすぎて最終的に行きついたど下ネタは、おもしろいかどうかはともかくとして笑いというものの本質に迫っていたような気がする。つまりは、いかに相手よりも頭をおかしくするか。
それはもはや芸ではなく、ただ相手を笑わそうという本能を全開にした結果行きついた場所なのだろう。
考えてみると、話や芸で笑わせるというのは、非常に高度な技術を要するものであるのだ。そういったものを脱ぎ捨てざるを得なくなったとき、芸人といえども剥き出しの本能がいかに相手より狂っているかを見せつけようとするしかないのだろう。
シーズン3ではどんなラストに向かっていくのか楽しみである。
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2017年08月19日

変化から逃げることも大切。

変化が起こることを望まなければ何も変わらないかもしれない。
時が経つにつれ、変化しないようにしたとしても、どこか変わってきてしまう。
少しずつ変わっていくことには慣れることができても、大きな変化が突然起こることに慣れることはない。
突然すべてが変わってしまったら、自分はどうするのだろう。
何も変わらないで欲しいけど、変わらないわけにはいかない。
人間には時を止める力はないのだから。

自分にとって嫌な変化であったとしても、誰かにとっては良い変化であるかもしれない。
受け入れることができれば、みんながハッピーになれる。
そうわかっていたとしても、受け入れることができないことだってある。
どうしたら良いのかわからない時は、そこから離れてみることだって必要だ。
問題を解きたかったら、問題の中にいてはいけない。問題を外から見なければ、何が問題なのかわからない。

どうしたって混乱するときはくる。
混乱した頭で必死に考えようとするよりも、まずは一度離れて、落ち着くことから始めた方がかえって早く済むこともある。
逃げてはいけないというけれど、一度逃げてみなくては自分がどこにいたのかにも気づかない。
自分の胸にナイフが刺さっていたとしても、戦場にいるうちは気がつけないものなのだ。

ビッグバンセオリーのシーズン7を見終わった。
明日は何を見よう。
posted by どらっくす at 00:16| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

手で書く。

ノートに少しずつ何かしら書くようになりました。
続けていくうちに、何か良いアイディアが出るかもしれません。
手書きで書いていると漢字をだいぶ忘れていることに気がつきました。
読めるけど書けないんですよね。
普段は変換に頼っているから、いざ書こうと思うと出てこない。
不可解という字を書こうと思ったんですが、どうしても出てこなかったのでひらがなで書いてしまいました。
あと叩くという字も間違っていますね、存在しない字を書いている。
漢字の練習帳からやり直した方が良いかもしれない。
でも手書きで書いてみると、だいぶキーボードで打つのとは感覚が違いますね。
手で書くのも悪くないものです。しばらく続けてみよう。
posted by どらっくす at 23:26| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

うぇい。

ここ最近は映画やら海外ドラマをたくさん見ている。言語には特にこだわらずに吹替え版を見ることにしている。
一時期は、英語音声のみで見ていたのだけど、それだと理解度は低くなる。わからないということはないけど。
別にすべてのドラマを英語で見る必要はない、と感じ出してきたのが吹替えメインに変えた理由。
自分の中にあった英語を理解したいという気持ちは、結局のところ「このおもしろさは原語だとどう表現されているのだろう」という興味から発生していたのだということに気がついた。
おもしろいから英語でも理解したいのであって、英語で理解することが目的ではなかった。
だから最初から英語で見てしまうのは少し違うような気がしてきたのだ。

まあ一番大きいのは英語で見ると疲れるという部分かもしれないけど、まあとにかく何事も気楽にできるならその方が良いのかもしれない。
気の向くようにやれば良いし、過剰に自分を大きく見せようとする必要もない。
やりたくないのにやる必要なんてないのだから。どんなことであっても。
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2017年08月11日

フラーハウスを見すぎる。

「フラーハウス」を見る。それはもう連続で何話と見たので、ちょっと食べすぎて胃もたれのようになってしまった。一日二話ぐらいがちょうど良いのかもしれない。
家族は大事、家族は素敵。どんな困難があっても最後は思いやりが大事。そんなポジティブなメッセージも浴びすぎればうんざりしてくる。おいしいケーキも食べすぎれば飽きて当然。
こういうハッピーな家族ものに対して、飽きたと言ってはいけないような気持ちも出てくるのだけれど、なにしろ自分には恋人も子供もいないものだから、まあそういうどこかねじ曲がった人間としては飽きたと言っても許される偏屈さがあるのではないかと思う。
飽きたと言っても、また見るのだけどね。

家族としての絆の深まりというのは一定していない。
近づいたかと思えば離れ、離れたかと思えば近づき、また近づいたのかと思えば軸がずれていてあさっての方向にいっていたりする。
「フラーハウス」でいえば、ジャクソンとラモーナの関係のように。最初は反目しあっていても、少しずつ兄妹のように仲良くなっていく。まあ二人は、兄妹はないわけだけど。
そう考えると、家族というのはどこまでが家族なんだろう。
一緒の家に住んでいたら家族なのか、家族同然の付き合いというのもある。

血のつながりを重視してしまいがちだけど、血がつながっていたって家族だと思えないことだってあるわけで。逆に言えば、血がつながっていなくたって家族だと思えれば家族なわけだ。
家族になるためには、多かれ少なかれ「家族である」という価値観を共有している必要があるのだろう。
家族じゃないけど家族、みたいなことは生じようがない。
アメリカの家族観と日本の家族観はまた違うものではあるんだろうけど、血のつながりだけが家族ではないということは、頭に入れておいてみよう。
posted by どらっくす at 07:30| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

「ヒーローズ・リボーン」を見る。

「ヒーローズ・リボーン」を見る。シーズン1と書いてあるけど、続編はないらしい。
おもしろいドラマではあったのだけど、いまいちすっきりとさせきってくれないドラマだった。
あの人はどうなったの?というところに明確な答えが出てこない。
メインのストーリーはきちんと終わっているのだから文句はないが、主要な人物たちでも生死が定かでないものがいて、続編なりを作りやすいようにしたのかなと思う。重ねるが続編はないらしい。

旧作に関しては、たしかシーズンファイナル以外は見たような気がするので、なんとなく旧作のキャラも把握はしていた。
なので、キャラに関してはそれほど問題なく理解できた。旧作を見なければたのしめないわけではないが、見た方が楽しめる。続編なのだから当たり前ではあるけど。
新キャラの絶妙に間違っている日本人たちが好きになれたのでよかった。どうも日本人俳優っぽいんですが、それでも味付けによってきちんと日本人っぽいどこか別の国の人に見えるのはさすがです。
今作でも日本人パートは癒しでした。

本編というよりは、ファンディスクぐらいの気持ちで接すると、それなりに楽しめるのではないかと思います。
話に関しては後半に話がまとまっていく感じがおもしろいという人もいれば、前半のよくわからないから色んな所にいってヒントを集めていく感じがおもしろいという人もいるでしょう。
自分は、そういったストーリーの流れよりも、ヒーローズの持っている世界観自体が好きでした。
ヒロ・ナカムラが出てきたときの「やったー!」という気持ちですべてが許せるような。
なんとなくここが好きなんだよね、というポイントがあればたのしめるドラマでした。
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2017年08月05日

あんまり食べない。

食事を抑え目にしています。
ダイエットとかではなくて、なんとなく食べるのを控えてみようかなという気分ですね。
お腹は減りますけど、お腹が空いたときは飲み物を飲むようにしています。野菜ジュースとか。
あとはプロテイン飲んでるから大丈夫だろうという漠然とした希望もありますね。
どうせ食べないといけない時はあるので、それ以外は飲み物で済ませてしまおうと思っています。

特に夕飯は食べない方が調子が良いです。
今まで食べすぎだったせいもあるのでしょう。胃腸に負担がかかっていたのかもしれません。
あんまり眠くならないんですが、眠る時は糸が切れたようにぷっつりと寝てしまいます。
なんとなく眠いから寝ているというよりも、体が限界だから寝るというイメージ。
朝も爽快に起きられる上に、睡眠時間は短くなっています。
気持ちも少しは明るくなってきているかな?

最初は餓死してみようかと思ったんです。
だけどやってみるとこれが死ぬほどきつい。
こんなに食べなかったら死んでしまうと思ったほどです。いや、方向としては良かったんだけど。
それで方針を軟化しまして、付き合いで食べる時は食べる。あと飲み物は何でもOKということにしました。
誰とも食事ができないようなら死んでいるのと同じでしょうし、飲み物を飲んでいたら大体大丈夫だろう、プロテインもあるし。と、なんだか最初の勢いからかなり弱まってはいますが、下手したら死ぬ可能性があるぐらいにとどめておきたかったんでしょう。

そうしたところ、みるみる体調が良くなってきまして。
よく眠れるし、しばらく続けてみようかなという気になっています。
自分でも何がしたいのかはわかりませんが、体調が良くなってきているので気にしないことにします。
食べない方が良いとも思いません。ただやってるだけです。
posted by どらっくす at 08:37| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

出てこない。

「エージェント・オブ・シールド」シーズン2を見終わりました。
シーズン1もなかなか気になる終わり方だったと記憶していますが、シーズン2はもっと気になる終わり方でした。
もうシーズン3も配信されているようですが、まだ見放題対象ではないのでしばらくは見ることができなさそうです。

そういえばしばらくブログを書いていなかったですね。
あいかわらず不調は続いていまして、どうにも言葉が出てこない。
どれだけドラマを見たりしても、語る言葉を持てないのです。
もちろん詳細に分析をしたりしているわけではないので、語るほどに内容を理解をしてはいないというのもあります。
でも、出てこない。
完全に行き詰っています。

ただ、今感じることができたのは、出てくるのを待っていても出てはこないということです。
エージェント・オブ・シールドの感想は出てこないかもしれないけど、そこで得た何かはきっとあるはず。
形は違ったとしても、そこを吐き出していくことで、新たに言葉が生まれてくる。
おもしろいという言葉が、なんとなく心の中に漂っているのであれば、ひとつポンとおもしろいを出してあげる。
そうすることで、自然と補完するように言葉が出てくるものなのかもしれません。

でも、まだ出てこないですね。
少しずつ言葉の蛇口を捻って、もう少し出てくるようにしたいものです。

posted by どらっくす at 15:14| Comment(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

ざんざん、雄山ざざん。

美味しんぼ、横綱の好物。
横綱にアラの鍋が食べたいと言われて、魚のあらを用意しようとした大原社主だったが、横綱が食べたかったのはアラ(クエ)という名前の魚だったという話。
この話の肝は、今までただただ傲慢だった海原雄山が、実は良い人かもしれないよという片鱗を見せてくる点。
大原社主が勘違いしていることを知らなかった山岡さんにわざわざ「大原社主は勘違いしているようだから、今夜の激励会で大恥をかかせてやる」などと言ってくる。
素直に教えてあげればいいものを。

人間とはなかなか素直になれないものなのかもしれない。
自分が間違っていると気がついたとしても「ええ、どうも。私が間違っておりまして。あいすいません。」とはなかなか言い出しづらいもので。
なんとかちょっとずつ軌道修正しながらなかったことにしようとしがちなのかもしれない。
海原雄山と山岡さんもお互いの意思にすれ違いがあったことを、この辺りから薄々感づいてはいたのだろうけど、この後単行本数十巻に渡ってすれ違い続けていくのだからたいしたすれ違いである。
その間に栗田さんと山岡さんのすれ違いもあったりするんだから、そりゃ大長編にもなるよなあ。

人間の心の中には、鬼も神も同居していて、どっちが出てくることもあるのだけれど、鬼みたいな出方をする神だっているわけで。
物事を一面だけで判断しようとしてはいけませんね。
よくよく裏側も見るようにしないと。


アニメ版だけでも121話あるわけですが、これでも山岡さんと栗田さんの結婚まではいってないんだよな。
posted by どらっくす at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

美味しんぼのアニメを見ている。


美味しんぼのアニメをなんとなく見ています。
初期は山岡さんが結構渋い感じなのが新鮮ですね。
いつごろからキャラが変わったんだろう。
究極のメニューが中心にありつつも、どっちかというと単純においしいものを探す感じ。
お金を使った接待に怒った社長をデパートの試食でもてなす話が好きです。8話かな。
今だとなかなかできないだろうな、一時期は試食ってすごく流行ってたというか、試食で食べたら無料じゃん!みたいな雰囲気があったような気がします。もしかしたら美味しんぼのこの話がそのきっかけだったのかもしれません。

お金の使い方っていうのは難しいような、簡単なような、複雑なものではありますけど。
節約と使うことのバランスを考えていくということがやっぱり大事なんでしょうね。
この時代のアニメって、なんだか見てると安心するんですよね。
YAWARAとかもそうだし、子供向けのアニメとかでもそうなんですけど。
もしかしたらセル画の時代だからなのかなあ。
安心感のあるものを見ることで、自分の精神の安定もはかりたいですね。


オープニングテーマって、だんだん気になる〜みたいな歌だったと記憶していたんですが、最初のころは違うんですね。
posted by どらっくす at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

ブルックリン・ナイン‐ナイン、ブルックリンでは苦がないン。

ブルックリン・ナイン‐ナインというドラマを見ていました。
この土日で一気にシーズン2の最後まで見てしまいましたよ。
刑事もののコメディで、シットコムに近いような雰囲気ですね。
シーズン2が非常に気になるところで終わったので、いつかシーズン3が来るのを楽しみにしています。

どういうわけだか、人が変わったようになっておりまして。
今までの自分だったら考えなかったようなことを考え始めているような気がしています。
何か変化が必要なのかもしれませんね。
どう変わっていくのかはわかりませんけど。

もっと人生をコメディ的に、楽にとらえた方が良いのかもしれません。
どういうわけだか、そう簡単には考えられていないようなんですけどね。
簡単なことほど難しいのかもしれません。
いっそすべてを捨ててしまえればいいんですけど、すべてを捨てたいわけでもないんですよね。おいしいところだけは残しておきたい。
生きるのはすべて苦だというのであれば、苦にらを加えて楽にしてしまえば良いのかもしれません。
ああ、明日から、ラララーーーと歌いながら過ごしてみようかな。ららー。
苦は九でナインとも繋がるかもしれません。ブルックリンに行ってみるか、ブルックリンナインナイン、ブルックリンでは苦がないン。なんちゃって。
posted by どらっくす at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

人間の注意力なんて、あんまりあてにならない。

信号のルールはわかるようでわからないこともあります。
特に横断歩道の場合は、ただの青信号であっても無理矢理突っ込んでくる車がいたりもするので、歩行者と車の信号は完全に分けてしまった方が事故は減るのではないかと思います。まあ歩行者が無理矢理突っ込むパターンもあるので、一概に車だけが悪いとも言い切れないですけど。

黄色の点滅信号は危険?

「黄色の点滅信号は危険?」という記事を読んで、なんとなくそんなことを思いましたね。
そもそも黄色の点滅信号が何を表現しているのか、知っているようで知らなかったです。
「速度を落とすなど、周りの交通に注意して進むことができる」という意味なんだそうですが、この注意というのが曲者みたいですね。
注意していれば徐行の義務はない。
つまりは、スピードを落とさなくて良いということのようです。なるほど、これは危ない。まあ、車側からすればそういう信号なのだから仕方がない。注意しないといけないとはいえ、注意していたって間に合わないときは間に合わないですからね。
車側の利便性のために黄色の点滅信号があるわけでしょうが、注意ができないのであればやめてしまっても良いのかもしれません。
この記事の場合は、130メートル先に普通の信号もあるというのが難しいところですね。そこまで行くのは嫌だというのは歩行者のわがままにも感じますが、高齢者にとっての130メートルというのは本当にきついものでしょうし。うまい解決策が見つかると良いのですが。

自分の家の近くにも、右折と左折がある上に踏み切りまであるもんだからわけのわからない状態になっている危険な交差点があるんですが、あまりにも危ないせいか意外と事故は起きてないですね。ひかれそうになったことは3回くらいあります、いずれも夜でしたね。やっぱり夜は危ない。
夜間に車の利便性のために信号を変えることは、もう必要がないような気もしますね。
はっきりと分けてしまった方がお互いのためなのかもしれません。
歩行者が安全で、車も安全。
そういう信号を作る仕組みというのは、本当に難しいのでしょうね。
ここだけ良くなれば良い、というものではなくて、交通事情が複雑に絡み合ってくるものでしょうから。

結局のところお互いに譲り合いながら妥協点を探していくしかないのでしょう。歩行者が優先されるべきという考えだけを持ってしまうと、本当の問題点が見えなくなってしまうような気がします。
また交通事情のみを優先してしまえば、暮らしている人たちの生活が脅かされてしまう。
自分としては、まずは高齢者の方に夜間で歩くときように、反射タスキを身に着けてもらうのをお願いするところから始めてみたらどうだろうと思います。信号のところに常にいくつか置いておいても良いわけですよね。
あとは人が横断歩道を渡っているときは音が鳴るようにするとか。横断歩道をライトアップするとか。
車にも注意を促すような何かがあれば良いですけど、パッと思いつかないな。
できるのであれば、黄色の点滅信号自体なくしても良いとは思います。人間の注意力なんてのは、あてにしていいようなものではないですよ、やっぱり。
posted by どらっくす at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

ハッピーエンドが信じられない。

リーサルウェポンは置いておいて、なぜかテッドを見ました。
熊のぬいぐるみのやつです。おもしろかったです。
でも、見終わってからどうにも落ち込んでしまいました。
主人公がわりとダメな奴なんですよ。
その主人公が最終的にはハッピーエンドを迎える、非常にいい話なわけですけど。
そのダメさ加減が絶妙で、なんだかすべてが自分に降りかかってきてしまったんですよね。
降りかかってきたにもかかわらず、自分のハッピーエンドはまったく信じられなくて、今後何か良いことがあるような気がしない。
いつからこんな道を歩みだしてしまったんでしょうかね……
もっとハッピーになるはずだった気がするんですが、もはや真っ暗闇を進んでいるような気持ちになっています。
良い映画を見ると、そのときの自分の精神状態が浮き彫りになりますね。
とにかく非常に悪いということがわかったので良かったです。
posted by どらっくす at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 毎日書かなくても日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月07日

リーサル・ウェポン2をちょろりと見る。炎の約束というサブタイトルって意味ないよね、かっこいいだけで。

リーサルウェポン2を内容確認程度に見ました。
シリーズを見たことがあると思っていたんですが、どうも見たことがないシーンばかりですね。
もしかして見たことがなかったのかなあ、だとしたらもったいない。
2はカーアクションが多めで、1よりも過激になっています。エロスも多めで、子供が見るのにはちょっと向かないかもしれませんね。
別に子供がいるわけじゃないのに子供目線を気にしてしまうのは、もしかしたらいつか子供と一緒に見るための映画を探しているのかもしれません、なんてさびしいやつなんだオレは。

唯一覚えていたシーンは、マータフがトイレに座っているシーン。
たぶんこれは宣伝か何かで使われていたんだと思います。テレビ番組の映画情報か何かで見た記憶があります。
トイレに座って何をしていたかといえば、便座に爆弾が仕掛けられていて、立ったら爆発してしまうんですね。
状況としては緊迫した場面なのに、下半身にタオルをかけられて座っている妙に笑えてしまうシーンでした。
でもこのシーンこそリッグスとマータフの友情を強く感じられるシーンでもあって、おかしさとともに心温まる場面でもあります。

それにしてもサブタイトルの炎の約束とはいったいなんだったのでしょうか?
原題にもないようですし、本編にもそれらしき場面はなかったように思います。
もしかしたら完全に雰囲気でつけられたものなのかな。
でも、なぜだかしっくりきますね。
字面としても、炎の約束とある方が締まって見えます。意味はないのかもしれないけど、なんとなく好きです。

最初に書いた通りに内容確認程度で見ましたが十分にたのしめました。
なんかまた映画を腰を落ち着けてじっくり見ることができなくなってきているので、映画館で見るのはもう無理かもしれないなあという気持ちがありつつ。
でも、映画を見ること自体はたのしくて好きだという気持ちもある。
特にリーサルウェポンシリーズのようなアクションは、映画館で見た方が数倍おもしろく感じるでしょうね。

いかにもバディものっぽい絵で良いですね。
ラベル:映画
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